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八代目藤舎蘆船の長女 伊串まき子
東流二絃琴は、東京下町らしい粋を旨とする芸です。
家元 藤舎蘆船は初代から八代目まで継承されてきました。
藤舎蘆船SALONでは、実際に見て、聞いて、触れて、
今は知る人の少ない二絃琴を文化として伝えたいと存じます。
藤舎蘆船(東流二弦琴家元)
『万家肖像雅名集』より
東流二絃琴は、桐の胴に紫に染めた絹糸の弦、2本を同じ音程に調弦。江戸が明治になった頃、上方にて神事に発した八雲琴(二弦)をシンプルな形にし、俗曲を演奏するようにしたのが、初代 藤舎蘆船(旗本の子 加藤亀太郎のち宗三郎に改名説あり)です。上方に対して東ということで東流。家紋が下りで、藤の花を好んだことから藤舎。
自ら作詞作曲した全95曲を「東流二弦琴唱歌集」として明治18(1675)年に出版。また、歌舞伎の下座もつとめ、九代目 市川団十郎や片岡仁左衛門が二絃琴を奏でたりも。
初代は出稽古のみで、習っていたのは、日本橋や浅草界隈の裕福な夫人や令嬢など。箏では大仰、三味線ではくだけすぎということで、簡素で珍しい二絃琴がお稽古事として人気になったようです。
その後、実子 加藤常利が不向きということで、義兄 本田利実が二代目に(襲名年は不明)。
初代の弟子で勢いのあった蘆瑟(斯波まさ)が昭和5(1930)年4月に三代目を襲名。その高弟 蘆江(石井ひさ 沢村貞子さんの叔母)が昭和12(1937)年5月に三代目追善会を開催、四代目になり、門弟を集め「東会」を組織し、盛んに活動したが、昭和16(1941)年3月に事故死。三代目の弟子 蘆雪(相川勢)が五代目に。
東流二絃琴芸系表(町田佳聲作成の資料に一部加筆)
LPレコード「東流二弦琴」六代目襲名前の録音
戦中戦後の空白を経て、昭和27(1952)年7月、NHKの放送が再開。五代目蘆船の唄、蘆翠(根岸千枝子)の演奏で東流二絃琴が出演。
同年9月に五代目が死去。その後、蘆翠は、二代目蘆雪(五代目の娘 相川雪子)とのコンビで活動。昭和48(1973)年3月、両名が無形文化財に。蘆翠は昭和50(1975)年秋、勲六等宝冠章を受章。町田佳聲氏や邦楽関係者の嘱望を受け、昭和51(1976)年8月に六代目を襲名。
四代目の愛弟子だった六代目。仲見世の袋物屋の看板娘のち、浅草興行界隆盛を誇った根岸興行の根岸吉之助の妻に。浅草を中心に東流二絃琴を伝え、昭和54(1979)年12月に死去。昭和57(1982)年5月、二代目蘆雪(相川雪子)が七代目を襲名。
その後、二絃琴を盛り返さんと、六代目の娘 二代目蘆翠(根岸喜久子)が、楽器を探し作ってもらうために東奔西走、稽古所を浅草と経堂に開設。弟子を集め、昭和57(1982)年12月、東邦生命ホールにて、八雲琴の山本震琴を招き、六代目追善、七代目襲名披露を含めた演奏会を開催するまでに。
昭和62(1987)年1月、七代目が死去。昭和63(1988)年11月、国立小劇場にて二代目蘆翠が八代目の襲名披露、蘆新(平林信子)、蘆柯(佐藤智柯子)、蘆恵(坂口恵美子)3名を新名取に。その後も後進の育成に励むとともに、一絃琴、八雲琴とともに少数絃の演奏会を開催し、その音色を伝えるべく活動。平成8(1996)年5月には11名が新名取に。そして、平成14(2002)年3月には、台東区無形文化財に指定されました。
しかし、残念ながらその名を託す弟子輩出に至らず、八代目は「藤舎蘆船の名を継承する相応しい人はいない。二絃琴は弟子がそれぞれ続けていってくれれば」と私たち遺族に言い残し、平成16(2004)5月に死去。八代目が最後の藤舎蘆船となりました。
平成8年5月26日、新名取11名の名のりの会(亀戸天神)にて演奏する八代目
[参考文献]
町田佳聲「遊びの上に成立した東流二弦琴百年の浮沈」
長谷川時雨「旧聞日本橋」沢村貞子「私の浅草」
今では珍しい二絃琴を見て、聴いて、弾いてみる会です。
二絃琴が登場する文学の朗読もいたします。
5月9日(土)ご参加ありがとうございます。
実際に二絃琴に触れ、短い曲を弾いてみたり、
長谷川時雨の「旧聞日本橋」朗読も、
二絃琴について本質を鋭く突いているところなど、
みなさん共感しながら聞いてくださり、お楽しみいただけたようで、うれしく存じます。
次回は秋の予定です。こちらでお知らせいたします。
vol.6 2026年5月9日(土)
vol.5 2026年1月31日(土)
vol.4 2025年10月25日(土)
vol.3 2025年5月10日(土)
vol.2 2025年2月22日(土)
vol.1 2024年12月21日(土)
(五十音順/敬称略)
ご賛同に感謝申し上げます